2011,11,09, Wednesday/五代目
私の所属している三重県伊賀市大山田観光協会の内部組織である大山田観光ボランティアガイドの研修会に参加してきた。
大津市の旧東海道沿いと膳所、そして琵琶湖博物館へ行った。
伊賀が生誕の地である俳聖松尾芭蕉(1644-94)の墓所がある義仲寺(ぎちゅうじ)
我が大山田村出身と言われている伊賀釆女宅子媛命(いがうねめやかこひめのみこと)が祭神となっている石坐神社(いわいじんじゃ)。
そして大友皇子が自害した後に子の與多王(よたおう)が住職となり弔った法傳寺(その後は,代々の大友一族が寺を守り続け現在も64代目が住職をされている)。
大友皇子が壬申の乱の最後・・・自縊された場所と言われている小茶臼山古墳付近を案内してもらった。
また午後からは大山田村で発掘されたものが多く展示されている琵琶湖博物館を訪れた。
(デジカメの電源が切れて写真無し。)
山登りをしはじめて馴染みのある地名(谷や川)や、岩石名が出てくると思わず、展示物の解説を読みふけってしまう私でした。
今回は自分も所属して見習い中のボランティアガイドの本職さん(古都おおつ観光ボランティアガイドのNさん)によるガイドを受けたが、非常に博学な方で、たいへん為になった。
大津市の旧東海道沿いと膳所、そして琵琶湖博物館へ行った。
伊賀が生誕の地である俳聖松尾芭蕉(1644-94)の墓所がある義仲寺(ぎちゅうじ)
我が大山田村出身と言われている伊賀釆女宅子媛命(いがうねめやかこひめのみこと)が祭神となっている石坐神社(いわいじんじゃ)。
そして大友皇子が自害した後に子の與多王(よたおう)が住職となり弔った法傳寺(その後は,代々の大友一族が寺を守り続け現在も64代目が住職をされている)。
大友皇子が壬申の乱の最後・・・自縊された場所と言われている小茶臼山古墳付近を案内してもらった。
また午後からは大山田村で発掘されたものが多く展示されている琵琶湖博物館を訪れた。
(デジカメの電源が切れて写真無し。)
山登りをしはじめて馴染みのある地名(谷や川)や、岩石名が出てくると思わず、展示物の解説を読みふけってしまう私でした。
今回は自分も所属して見習い中のボランティアガイドの本職さん(古都おおつ観光ボランティアガイドのNさん)によるガイドを受けたが、非常に博学な方で、たいへん為になった。
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