七人さんという名の地蔵盆?::つばや菓子舗五代目ブログ

つばや菓子舗五代目ブログ

五代目の四方山不定期更新日記
1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30

今日は町内で行われた『七人さん』の当番だった。
この話題。地域でしか通じない言葉でスタートしているので解説しながら話題を進める。なので長文となるので覚悟してください。(いつものことか?(^_^;)

まず当番とは・・・
町内で行われる諸行事の『裏方サン』を「当番」と呼んでいます。学校の当番さんのようなものだと思ってください。

その役割は町内で行われる諸行事の会場設営や『お茶汲み』であったり、祭りの設営=ノボリ建てや提灯の出し入れといった具合で労務はその都度変わります。

そして当番の順番は、我が町内では、集落を南北に分ける道の南方、北方をループ状に回る『廻り当番』と、町内を13班に分けた『組(くみ)』が順番に当番になるという『組当番』の二本立てだ。
これらの当番は5月に行われる町内の総集会で区長さんから発表→承認→任命となる。当日の都合が悪いものは当番に当たっていない同じ町内の知人に交代してもらったりする。

さて、本日行われた「七人さん」。読み方は『ななにんさん』ではなく、『しちにんさん』が正解らしい。ななにんでもしちにんでもよいとおもうのだが、ここではこらいからしちにんさんなんだからしかたがない。(ひらがなばかりだと読みにくいですね)

で、お盆明けの8月17日に町内の「とある」場所で行われる行事が『七人さん』。
その内容としては典型的な『地蔵盆』。
地蔵盆供養を知らない方のためにそれを解説しよう!
地蔵盆は、町内の子ども達が町内に祀られている地蔵さんの周りに集い、ロウソクや線香を「ボッタクリ価格」で町内の老若男女に売りつけて自分たちの飲み食いやお小遣いという私服を肥やす事や、ちょっとばかりの供養する気持ちを学ぶ機会だ!(異論あればコメントにどうぞ(^_^;)

でも、我が町内の地蔵盆は少し動機が違うのだ。それが『七人さん』という名称に現れている。
昔々、刀を戦いの道具としていた時代・・・それも江戸末期なのか天正伊賀の乱をはじめとする戦国時代なのか、はたまた壬申の乱なのか何時代か分からない。
対象となる地蔵さんは存在しているものの、文献記録はなく、口承だけで正確にいつ誰が行い始めたのか分からない。

口承語り継がれているのは、
その昔、我が集落の片隅に七人の落ち武者が辿り着いたらしい。その七人の落ち武者達は皆酷い怪我をしていて「モハヤここまで・・・」と、その座り込んだ場所で自害して果てたらしい。
その姿を見ていたその周囲の者たちは七人の侍達の骸を丁重に葬り、その場所に「七人」を供養するためのお地蔵さんを建立した。
そして、末永くそのお地蔵さんをお盆明けにお祭りして供養するようになったらしい。
その供養方法が子ども達に地蔵さんのお供えするロウソクや線香を売らせる地蔵盆スタイル。

本来は我が町内の・・・ではなくて、その地蔵さんの存在している町内の端っこの二組の子ども達だけがお祀りしていたのだが、少子化の煽りで町内の区長をはじめ組長会+当番が、数年前から町内全域の子ども達を町内で招集するようになったらしい。

私は今回は「七人さん」の当番=設営・撤収係だったので、途中現場に居なかったため、どれくらいの人がお参りして、子ども達の収益がどれほどあったのか知らないけれど、うちの子供は五百円を売上の分け前として貰ってきた。収入の少ない私の子どもにとって大金だ!えらいこっちゃ!
| 雑記 |
| 11:04 PM | comments (0) | trackback (0) |

コメント



コメントする










右下の四角い枠に絵の中の文字を入力して下さい:


ボタンを押してから処理に時間がかかりますが、ボタンを押すのは1回だけでOKです。

https://blogn.tsubaya.com/tb.php/154

トラックバック