2024,01,17, Wednesday/五代目
アカ~ン!自宅のある伊賀も周辺も雨!!
山に行けない~!(>_<)
ん?尾鷲市方面が晴れるやん!
今回は自分でネタ探し!
魚介類ランチ前に遺跡集落と柱状節理のリアス海岸を見に行く計画を立ててみた!
ルート:三木崎林道駐車地↓頼母集落跡→ごろた岩の浜と柱状節理↑三木﨑灯台→元盛松集落→ごろた岩の浜と柱状節理↑二又峠→林道→駐車地
山行日:2024年1月15日
1月14日は毎年私の地元では【どんど焼】が行われる。
正月飾りや書初めの半紙などを地域(小場)ごとに燃やして、その火で焼いた餅を食べると、その一年を無病息災で過ごせると言われている習わし。
あけて1月15日。
伊賀は朝から雨が降っている。
国道165号線を走り伊勢自動車道久居ICから尾鷲市へ向かう。
待ち合わせ場所の三木里ビーチは晴れ!
三重県は長くて東西も離れると山は雨でも海は晴れるのです(*^^*)v
え?今日もIS君は待ち合わせ場所を通り過ぎて三木浦トンネルを越して違う場所まで行ってきたって?(~_~;)
でも、待合せ場所を通過して、戻ってきてなのよね~(*_*)
やや狭い舗装林道を走って、三木崎園地入り口に車を駐車して、
まずは頼母集落跡へ
山道を下っていくと大規模な石垣が山中に現れた。
階段も石造り。橋も石。
山を見渡せば、あちらこちらに凝灰岩?がゴロゴロしている。
石垣を積むのに選り取り見取り?
頼母集落は、この山行の後半で行く盛松(さがりまつ)の枝郷といわれ、慶長のはじめ頃、三重県南伊勢町道行竈(みちゆくがま)※から4人が移住し製塩を生業にしていた。また盛松の兵九郎は頼母で新田6反3畝6歩を開拓し、その後も1968年ごろまで家畜を使った稲作をしていたらしい。一説によると、こちらの頼母から盛松へ人が移住したかも?※壇ノ浦の合戦で落ち延びた平家の落人集落。
五右衛門風呂の風呂釜が転がってる
段々畑や水路も全部が石積み
岩と岩の間に山の神と石地蔵
腕がたくさん?不動明王だろうか?
頼母家の墓石?
頼母徳松九十一才 昭和六年二月十八日
裏側に妻の没年(明治36年)もあったようだ。
安永9年(1780年)と彫られた石もある
どんどん道を下って行くと最後は海に出た。
デッカイ漬物石のような【ごろた石】の浜だ。
向こうに見えている黒っぽい岩はデッカイ柱状節理。
ここのゴロタ石(岩)、柱状節理が風化して海に転がり落ちたものが磨かれて丸いごろた石になったのだろうか?
ゴロタ岩を散歩してみたら、デカい岩が意外にも 動く、動く。そのたびに「ドキッ!」とさせられる。それに石と石の積み重なりは、底がどこにあるのか?分からない。ここで携帯電話を落としたら絶対「拾えない」(~_~;)
集落跡に戻って水路沿いに歩いて行くと田んぼの跡地
今は枯れた平地だけど、夏は半夏生の群生地になっているらしい。
田んぼ、沢沿いに登って行くと、ゆるっと斜面を登って行く道には猪除けの猪垣が続く。
まるで城塞のよう。
山の畑を獣から守っていたのだろう
計画ではチョットだけショートカットしようか?と思ってきたのだけど、地理院地図の破線にピンクテープが続いていたのでそれを目指して歩いてみた
概ね問題なく歩けるのだが、若干シダのせいで不明瞭になるところも少々。しかし、シダ漕ぎになるようなことは無かった。
炭焼き釜跡を通り、昔に崩落した場所っぽい場所は展望があった。
やがて三木崎園地に合流。ここからは快適快調な散策道になった。
今回は、つばき園地(P221周辺)には行かなかった。
尾根を下って行くと森の中に白い灯台。
昭和3年に灯りがともされ、今もソーラー発電&遠隔操作で現役の三木崎灯台。QRコードが設置されていて灯台カードDigitalで施設概要を閲覧することが出来る。でも、灯台には入ることが出来ないし、周囲は樹々に覆われて展望は一切なし。広いコンクリートの上で休憩できる「だけ」。
では西へ移動。灯台から遊歩道を歩いて行くと「長バエ」という標識があり、海へ行けとなっている。
明瞭な道を下って行くと岩場になって海に出た。
黒っぽい海岸の岩はデカい柱状節理の頭?
ここは磯釣りのポイントとして有名らしい。
西方向にはゴロタ石の浜とその先に三角の岩。
海の傍まで降りて行くことが出来る。
ここでのんびり釣りなんてのも良いよな~
しばらく海を満喫!
さぁ!旧盛松(元盛松)へ行こう!
10:55遊歩道ルートに復帰して森の中を西へと歩いて行く
ヒャクリョウ(百両)は、ヤブコウジ科でカラタチバナ
ここまでもそうだったのだが、国土地理院の地形図の破線と実際に道として歩いている場所はかなり違う。
でも、標識や印が付いているので迷うことは無い。
途中で炭焼き窯跡の横を通ったりしながら進んで行く。長バエの出合から35分経過。植林された所に入ったとたん、石垣で覆われた集落遺跡となった。ここが元盛松(さがりまつ)集落跡
人工的に石積みされた川には石の橋
石垣の上には石の道が続いている
頼母でもそうだったのだが、石積みの規模が半端なく広大。
整然と積み上げられたその姿は「城塞」のようだ。
この集落の人々は世界大恐慌のあった1929年(昭和4年)に三木浦の湾奥に集落ごと移住して廃村となった。
(建屋は無く、瓦や食器などの残骸だけが残る)
庄屋跡など看板がある
十字路に出た。ここから南へ下地地区へ行くと船着き場跡へ下っていけるらしいが、この後、美味しいランチを食べに行きたいので、今回はパスして右折。
両岸に石積みの畑跡?その間の石階段の坂道を登って行くと
精密な石垣のある場所は海蔵寺跡(新しい切り石混ざっている?)
海蔵寺は1611年(慶長16年)に周鋒千徹僧が開基。
集落の名前である「盛松(さがりまつ)」の由来は、山腹にあるこの寺に松の老木があり、下方向に下がった枝が特徴だったので「下松(さがりまつ」と呼んでいたが、18世紀後半に「下がる」は縁起が悪いので「盛さかる」の字に置き換えたそうだ。
西にある尾根状の方へ進んで行くと
運動場跡の看板。三木浦の三木小学校までが遠いという理由で1923年に海蔵寺に分教場が設置され、小学4年生までが通学したらしい。でもその5年後に集落移転とは・・・
飛箱岩は、当時はもっと露出していたのだろうか?
こうした山中の丸い石はの玉ねぎ状風化によるコアストーン?運動場跡を尾根先へ進んで行くと間伐材で作られた休憩所?
ここで荷物をデポして西側にあるフィックスロープを辿って下って行くと海が!
足下にはドデカイ柱状節理と透明な海!
ロープで近づかないようにされている場所があり、そこから恐る恐る下を覗き込んで見ると!
断崖絶壁と無茶苦茶キレイな海!
さらに進んで海に近づいてみよう!
さきほどの断崖と海のキレイな場所!
深い場所の海水は青く、浅い場所はエメラルドグリーンで底が見えている!
柱状節理の海岸はどんどん降りて行くことが出来る。
こりゃあ良い景色だわ~
波打ち際まで行くことが出来るけれど濡れている場所はヌメリがあって滑る滑~る~!
柱状節理の海岸で絶景を堪能した!さぁ帰ろう!
運動場跡へ戻って、そこからジグザグと標高を上げていく。
梯子上の木橋も何代か設置されているようで、古い橋が落ちて転がっていた。
この日の山中、あちらこちらで見かけた綿毛付きの種。
帰って調べてみるとツル性植物のサカキカズラの種だと分かった。
そういえば、朝に駐車した場所にオレンジ色の花があった。
調べてみたら、南アメリカ原産のトウワタ。。寒さに弱いので日本では一年草になっているがここの土地は暖地で多年草として生きていけるようで、しっかり蔓延っている。
こいつの種子も綿毛付き。サカキカズラのものよりかなり小さいみたい。キョウチクトウも小さいし、テイカカズラがサカキカズラの種に似ているがサカキカズラよりも細い。
運動場跡から15分足らずで林道のある二又峠まで登ってきた
ここからは未舗装林道を東へ、駐車地までテクテク歩く。
道はダートだけれど荒れていないので車で来れないこともない。
二又峠から三木崎園地前Pまで徒歩25分だった。
山行日:2024年1月15日
グループ山行@月曜山歩
参加者5人(IS、フグやん、ころ助、TY、TK)
距離:9.3km
所要時間:4時間29分
累積標高:プラスマイナス831m
最小標高:0m(長バエ)
最大標高:198m(林道)
6:00伊賀つばや
集合
7:50三木里ビーチ駐車場
8:07林道駐車地8:22
(三木崎園地入口前)
8:35頼母分岐
8:38頼母集落分岐
8:54地蔵
9:01ごろた岩の浜
9:12柱状節理手前岩
9:23田んぼ跡(半夏生)
9:52炭焼き窯跡
10:05つばき園地看板
10:14三木崎灯台10:30
10:40長バエ10:54
11:14炭焼き窯跡
11:32石橋
11:36石垣邸宅跡
11:40庄屋屋敷跡
11:44奥地・下地看板
11:48海蔵寺跡
11:50運動場跡(飛箱石)
11:55柱状節理12:08
12:13運動場跡(飛箱石)
12:27二又峠
12:52林道駐車地
昼食は尾鷲市の「おとと」内の食堂
おとと→http://e-ototo.jp/?mode=f4
食堂の営業は11:00-14:00(年中無休)
三重県尾鷲市古戸野町2-10
地魚どんDX+魚味噌汁+マグロの甘酢唐揚げ
おいしゅうございました!(^▽^)/
この店で養殖ブリの1/4身を買おうか?と悩んでみたけど、思い切りが付かずに店の裏にある主婦の店へ。ここでは芝エビだけ購入。うーん、トロ箱に氷入れてきたのに不本意な買い物だ(~_~;)
ここで居酒屋のフグやんが「ガチの魚屋へ行きましょうか?」と誘ってくれたのが、とても良かった!
はし佐商店
https://www.hashisasyoten.com/
三重県尾鷲市中井町1-19
TEL 0597-22-0304
定休:土曜
営業:9:00-16:00
購入したのは、寒グレ1kgちょいとイバラモエビ(オニエビ)
オニエビは店が処分価格!とアピールされて。
帰宅後、オニエビは尾を刺身に。頭は味噌汁に入れて。
水槽で泳いでいたグレは活けジメしてくれていたので超新鮮。
(神経締めしてくれている)
持ち帰り、グレの腹を割ると白子たっぷり!
捌いた半身と白子と胃、キモを煮付けに。
残りの半身は翌日に刺身にした。
味?どれもこれも美味しかった!
また行こう!
山に行けない~!(>_<)
ん?尾鷲市方面が晴れるやん!
今回は自分でネタ探し!
魚介類ランチ前に遺跡集落と柱状節理のリアス海岸を見に行く計画を立ててみた!
ルート:三木崎林道駐車地↓頼母集落跡→ごろた岩の浜と柱状節理↑三木﨑灯台→元盛松集落→ごろた岩の浜と柱状節理↑二又峠→林道→駐車地
山行日:2024年1月15日
1月14日は毎年私の地元では【どんど焼】が行われる。
正月飾りや書初めの半紙などを地域(小場)ごとに燃やして、その火で焼いた餅を食べると、その一年を無病息災で過ごせると言われている習わし。
あけて1月15日。
伊賀は朝から雨が降っている。
国道165号線を走り伊勢自動車道久居ICから尾鷲市へ向かう。
待ち合わせ場所の三木里ビーチは晴れ!
三重県は長くて東西も離れると山は雨でも海は晴れるのです(*^^*)v
え?今日もIS君は待ち合わせ場所を通り過ぎて三木浦トンネルを越して違う場所まで行ってきたって?(~_~;)
でも、待合せ場所を通過して、戻ってきてなのよね~(*_*)
やや狭い舗装林道を走って、三木崎園地入り口に車を駐車して、
まずは頼母集落跡へ
山道を下っていくと大規模な石垣が山中に現れた。
階段も石造り。橋も石。
山を見渡せば、あちらこちらに凝灰岩?がゴロゴロしている。
石垣を積むのに選り取り見取り?
頼母集落は、この山行の後半で行く盛松(さがりまつ)の枝郷といわれ、慶長のはじめ頃、三重県南伊勢町道行竈(みちゆくがま)※から4人が移住し製塩を生業にしていた。また盛松の兵九郎は頼母で新田6反3畝6歩を開拓し、その後も1968年ごろまで家畜を使った稲作をしていたらしい。一説によると、こちらの頼母から盛松へ人が移住したかも?※壇ノ浦の合戦で落ち延びた平家の落人集落。
五右衛門風呂の風呂釜が転がってる
段々畑や水路も全部が石積み
岩と岩の間に山の神と石地蔵
腕がたくさん?不動明王だろうか?
頼母家の墓石?
頼母徳松九十一才 昭和六年二月十八日
裏側に妻の没年(明治36年)もあったようだ。
安永9年(1780年)と彫られた石もある
どんどん道を下って行くと最後は海に出た。
デッカイ漬物石のような【ごろた石】の浜だ。
向こうに見えている黒っぽい岩はデッカイ柱状節理。
ここのゴロタ石(岩)、柱状節理が風化して海に転がり落ちたものが磨かれて丸いごろた石になったのだろうか?
ゴロタ岩を散歩してみたら、デカい岩が意外にも 動く、動く。そのたびに「ドキッ!」とさせられる。それに石と石の積み重なりは、底がどこにあるのか?分からない。ここで携帯電話を落としたら絶対「拾えない」(~_~;)
集落跡に戻って水路沿いに歩いて行くと田んぼの跡地
今は枯れた平地だけど、夏は半夏生の群生地になっているらしい。
田んぼ、沢沿いに登って行くと、ゆるっと斜面を登って行く道には猪除けの猪垣が続く。
まるで城塞のよう。
山の畑を獣から守っていたのだろう
計画ではチョットだけショートカットしようか?と思ってきたのだけど、地理院地図の破線にピンクテープが続いていたのでそれを目指して歩いてみた
概ね問題なく歩けるのだが、若干シダのせいで不明瞭になるところも少々。しかし、シダ漕ぎになるようなことは無かった。
炭焼き釜跡を通り、昔に崩落した場所っぽい場所は展望があった。
やがて三木崎園地に合流。ここからは快適快調な散策道になった。
今回は、つばき園地(P221周辺)には行かなかった。
尾根を下って行くと森の中に白い灯台。
昭和3年に灯りがともされ、今もソーラー発電&遠隔操作で現役の三木崎灯台。QRコードが設置されていて灯台カードDigitalで施設概要を閲覧することが出来る。でも、灯台には入ることが出来ないし、周囲は樹々に覆われて展望は一切なし。広いコンクリートの上で休憩できる「だけ」。
では西へ移動。灯台から遊歩道を歩いて行くと「長バエ」という標識があり、海へ行けとなっている。
明瞭な道を下って行くと岩場になって海に出た。
黒っぽい海岸の岩はデカい柱状節理の頭?
ここは磯釣りのポイントとして有名らしい。
西方向にはゴロタ石の浜とその先に三角の岩。
海の傍まで降りて行くことが出来る。
ここでのんびり釣りなんてのも良いよな~
しばらく海を満喫!
さぁ!旧盛松(元盛松)へ行こう!
10:55遊歩道ルートに復帰して森の中を西へと歩いて行く
ヒャクリョウ(百両)は、ヤブコウジ科でカラタチバナ
ここまでもそうだったのだが、国土地理院の地形図の破線と実際に道として歩いている場所はかなり違う。
でも、標識や印が付いているので迷うことは無い。
途中で炭焼き窯跡の横を通ったりしながら進んで行く。長バエの出合から35分経過。植林された所に入ったとたん、石垣で覆われた集落遺跡となった。ここが元盛松(さがりまつ)集落跡
人工的に石積みされた川には石の橋
石垣の上には石の道が続いている
頼母でもそうだったのだが、石積みの規模が半端なく広大。
整然と積み上げられたその姿は「城塞」のようだ。
この集落の人々は世界大恐慌のあった1929年(昭和4年)に三木浦の湾奥に集落ごと移住して廃村となった。
(建屋は無く、瓦や食器などの残骸だけが残る)
庄屋跡など看板がある
十字路に出た。ここから南へ下地地区へ行くと船着き場跡へ下っていけるらしいが、この後、美味しいランチを食べに行きたいので、今回はパスして右折。
両岸に石積みの畑跡?その間の石階段の坂道を登って行くと
精密な石垣のある場所は海蔵寺跡(新しい切り石混ざっている?)
海蔵寺は1611年(慶長16年)に周鋒千徹僧が開基。
集落の名前である「盛松(さがりまつ)」の由来は、山腹にあるこの寺に松の老木があり、下方向に下がった枝が特徴だったので「下松(さがりまつ」と呼んでいたが、18世紀後半に「下がる」は縁起が悪いので「盛さかる」の字に置き換えたそうだ。
西にある尾根状の方へ進んで行くと
運動場跡の看板。三木浦の三木小学校までが遠いという理由で1923年に海蔵寺に分教場が設置され、小学4年生までが通学したらしい。でもその5年後に集落移転とは・・・
飛箱岩は、当時はもっと露出していたのだろうか?
こうした山中の丸い石はの玉ねぎ状風化によるコアストーン?運動場跡を尾根先へ進んで行くと間伐材で作られた休憩所?
ここで荷物をデポして西側にあるフィックスロープを辿って下って行くと海が!
足下にはドデカイ柱状節理と透明な海!
ロープで近づかないようにされている場所があり、そこから恐る恐る下を覗き込んで見ると!
断崖絶壁と無茶苦茶キレイな海!
さらに進んで海に近づいてみよう!
さきほどの断崖と海のキレイな場所!
深い場所の海水は青く、浅い場所はエメラルドグリーンで底が見えている!
柱状節理の海岸はどんどん降りて行くことが出来る。
こりゃあ良い景色だわ~
波打ち際まで行くことが出来るけれど濡れている場所はヌメリがあって滑る滑~る~!
柱状節理の海岸で絶景を堪能した!さぁ帰ろう!
運動場跡へ戻って、そこからジグザグと標高を上げていく。
梯子上の木橋も何代か設置されているようで、古い橋が落ちて転がっていた。
この日の山中、あちらこちらで見かけた綿毛付きの種。
帰って調べてみるとツル性植物のサカキカズラの種だと分かった。
そういえば、朝に駐車した場所にオレンジ色の花があった。
調べてみたら、南アメリカ原産のトウワタ。。寒さに弱いので日本では一年草になっているがここの土地は暖地で多年草として生きていけるようで、しっかり蔓延っている。
こいつの種子も綿毛付き。サカキカズラのものよりかなり小さいみたい。キョウチクトウも小さいし、テイカカズラがサカキカズラの種に似ているがサカキカズラよりも細い。
運動場跡から15分足らずで林道のある二又峠まで登ってきた
ここからは未舗装林道を東へ、駐車地までテクテク歩く。
道はダートだけれど荒れていないので車で来れないこともない。
二又峠から三木崎園地前Pまで徒歩25分だった。
山行日:2024年1月15日
グループ山行@月曜山歩
参加者5人(IS、フグやん、ころ助、TY、TK)
距離:9.3km
所要時間:4時間29分
累積標高:プラスマイナス831m
最小標高:0m(長バエ)
最大標高:198m(林道)
6:00伊賀つばや
集合
7:50三木里ビーチ駐車場
8:07林道駐車地8:22
(三木崎園地入口前)
8:35頼母分岐
8:38頼母集落分岐
8:54地蔵
9:01ごろた岩の浜
9:12柱状節理手前岩
9:23田んぼ跡(半夏生)
9:52炭焼き窯跡
10:05つばき園地看板
10:14三木崎灯台10:30
10:40長バエ10:54
11:14炭焼き窯跡
11:32石橋
11:36石垣邸宅跡
11:40庄屋屋敷跡
11:44奥地・下地看板
11:48海蔵寺跡
11:50運動場跡(飛箱石)
11:55柱状節理12:08
12:13運動場跡(飛箱石)
12:27二又峠
12:52林道駐車地
昼食は尾鷲市の「おとと」内の食堂
おとと→http://e-ototo.jp/?mode=f4
食堂の営業は11:00-14:00(年中無休)
三重県尾鷲市古戸野町2-10
地魚どんDX+魚味噌汁+マグロの甘酢唐揚げ
おいしゅうございました!(^▽^)/
この店で養殖ブリの1/4身を買おうか?と悩んでみたけど、思い切りが付かずに店の裏にある主婦の店へ。ここでは芝エビだけ購入。うーん、トロ箱に氷入れてきたのに不本意な買い物だ(~_~;)
ここで居酒屋のフグやんが「ガチの魚屋へ行きましょうか?」と誘ってくれたのが、とても良かった!
はし佐商店
https://www.hashisasyoten.com/
三重県尾鷲市中井町1-19
TEL 0597-22-0304
定休:土曜
営業:9:00-16:00
購入したのは、寒グレ1kgちょいとイバラモエビ(オニエビ)
オニエビは店が処分価格!とアピールされて。
帰宅後、オニエビは尾を刺身に。頭は味噌汁に入れて。
水槽で泳いでいたグレは活けジメしてくれていたので超新鮮。
(神経締めしてくれている)
持ち帰り、グレの腹を割ると白子たっぷり!
捌いた半身と白子と胃、キモを煮付けに。
残りの半身は翌日に刺身にした。
味?どれもこれも美味しかった!
また行こう!
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