2024,02,14, Wednesday/五代目
建国記念の日の翌日2/12月曜日は、山は午前中は雪。
しかも強風吹き荒れる。
こんな時は南伊勢の海岸山歩。
ルート
旧南部小学校グラウンドP→シジラミ浜→志戸ノ鼻→筆島展望→浜(ランチ)→丸山→八ヶ竈八幡神社→旧南部小学校グラウンドP
山行日:2024年2月12日
中ノ磯展望台駐車場で仲間と待合せて、旧南島町、南部小学校跡地の駐車スペースに車を駐車。
道を少し戻った場所にあるステンレス製の門扉を通って山を登って急な坂を行くと
祠があるちょっとした広場。
ここは阿曽浦里の浅間(せんげん)さん。毎年夏至の数日後に浅間祭りが行われる神聖な場所。
富士山信仰の浅間さんは氏子が海で身体を清め(垢離掻き)、顔に化粧をして、大日如来の石仏が安置されている高台の祠に竹幣を奉る祭り。海の安全と豊漁祈願の祭りとして伊勢志摩エリアに根付いている民衆信仰らしい。
祠と反対方向の岩っぽい尾根を登って標高を上げると、樹木の切れている所から贄湾
熊野灘には見江島
昔の段々畑の跡のような石積みを眺めながらキレイな歩道を歩いていくと南勢テクテク会の設置しているオレンジの道標
南勢テクテク会の文字が消されているのは大人の事情かな?(;^_^A
シジラミ浜を目指して歩いてくると、何やらコンクリートの構造物?
レンガも使われているし、中にはタイル張りの流し台もあったりした。あとで地元の人に聞くと、昔はボラの群れがやってきたりするのを見張っていた見張り台。最近までは定置網見張小屋だったらしい。
見張り小屋から下へ段々畑の跡地らしい場所を降りて行くと海岸へ出た。浜は黒っぽい玉砂利だらけ。
原因は、このあたりの海岸線を構成している岩が黒っぽいから。
シジラミ浜を南東へ移動
一番奥に見えている尾根端まで歩く。
↓浜の途中で後ろを振り返ってみた。
三角の山のてっぺんがコンクリートの見張り台があった場所。その海側下部の岩肌が黒いのがこの浜の黒い玉砂利の原因か?
浜辺を歩いていると黄色いプラゴミ?と拾ってみたら
コンゴウフグ?の赤ちゃんの遺体(;^_^A
あたりを注意深く見て回ると
いろいろあった('◇')ゞ
この日はまだ潮が引いていなかったので潮溜まり観察は出来ず((+_+))
ウニの骨格が二個あった
ボチボチ次に行きましょう
尾根に登れば良いんだけど、谷っぽい所から
すると森の中に綿毛付きの種の塊が落ちていた。
前にも三木浦で見つけたサカキカズラの種。
枝尾根の登りやすそうな、ブッシュの無さそうな場所を探して登って行く
登り切ると海の展望!
透明度の高い海水のおかげで浅い海岸沿いは暗礁が良く見える。
海岸の山腹に設けられている道はキレイに整備されている
そして志戸ノ鼻(鼻=岬)へ進んで行くと、またもや見張り台跡らしい場所があったが構造物は無し。
↑コンクリートの屋根だけ転がっている?
尾根を先端へと下りながら進んでいく。
海が見える場所から渡船がやってきたのが見えた。
海面から露出している岩に釣り人を降ろして行った
彼はここで磯釣りを何時まで楽しむのだろう?食事やおしっこは?迎えに来てくれないなんて事は無いのだろうか?などと色々気になった('◇')ゞ
岬の先っぽへ尾根をドンドン下って行った先。
そこは痩せ尾根の先っぽ。
低木のブッシュの向こう側にテラスがあるのだが崖っぷちの道は崩れて落ちてしまっている。ブッシュの中に身を滑り込ませて何とかテラスの上に立った。
この場所が志戸ノ鼻と呼ばれている所のようだ。
眺望、抜群!
眼下に透き通る水の磯場があって三角形の島!
ずっと眺めて居たいけれど、足元は三方が断崖絶壁。
ここ!高さ何十メートル!?
ここは細く突き出た岩壁の上。
崩れやすそうな地質の岩のテラスの幅は2mも無い。
まさに鼻先の上に居る!
おまけに風が強いので、思わず「しゃがむ」(-_-;)
真下は怖すぎ!見ることが出来ない!!
一人ずつ交代しながら崖っぷちを堪能。
あ?前の島の先っぽにも人影あり。
磯釣りの渡船でやってきたのだろう。
あそこなら広いから生活できそう!
(;'∀')b
さて、次に進もう。
来た道を戻って行くと東へ分岐する道があったので、それを使うと小ピークを登らずに巻くことが出来た。
海沿いの道は南側に展望がきく場所があった。
海の水平線の景色に渡船らしきものが動いていた。
歩くと程なく先ほど絶景を見ていた志戸ノ鼻が見下ろせる場所があった。
展望台と書いた場所が、しゃがみこむほどコワイ場所。
志戸ノ鼻から筆島の方向へ歩く事30分。
またまた監視小屋跡の残骸。
ここから東へ降りて行くルートを取った。
5分ほど下って行くと筆島の東浜が見えてきた。
浜が見えて、ものの2分ほど下ると露岩のザレ場に出て、砂利の浜に降り立った。
固定ロープが設置されていたが、傾斜も緩く、ザラザラの岩でグリップもあったのでロープを使うまでも無かった。
ここの岩場の様子はシジラミ浜に比べて灰色っぽい縞々の岩の地層から生まれた灰色の砂利浜
11:40ここで昼食をとることになった。
昼食後、各々が浜を散策していると「ゴキブリみたいな虫の死骸あった!」と、嫁さんが私を呼ぶので見に行くと、見たことのない・・・虫?
フナムシでは無いし、タイの口の中に寄生するタイノエとも違う・・・
分からない・・・(;^_^A
家に帰って調べると、このこはスナホリガニ。意外に美味しいとか(~_~;)
↓左が頭で右がお尻
カメノテさんと記念撮影。
ここの浜でも落ちているものを集めてみた
細かい貝が多かった
行ける所まで行ってみよう
ロープが張られているのは定置網?
ここの潮溜まりにも特に生き物は見当たらなくて・・・
居たのはカメノテくらい(=_=)
さぁ、丸山へ行こう!と、来た道を戻って、見張り小屋跡の横から筆島を撮影。
絶景だ!
さぁ、今日はこれで海とオサラバ
昼前に下ってきた尾根を登り返してP163の横を巻く。
常緑広葉樹の低木をくぐって進んでいき、最後にググっと標高を上げていくと、展望の無い丸山P182。
本日の最高標高点。
この先にある塩竈浜(しゅうがはま)方面には行かずに来た道を引き返して、大方竈方面へ下山する。
分岐点は分かりやすく、道は谷沿いに下って行く。
途中で崩落した場所があったりするが、歩くには支障なく、谷沿いに下って行けば溜池に出た。
石積み堰堤の横から始まる沢沿いに歩いて行くと、津波時の避難看板のある未舗装林道。
大方竈方向へ歩いて行くと耕作放棄された田畑が広がるエリア
道は幅が細いものの舗装路。
駐車場がある八ヶ竈八幡神社にやってきた
この神社、拝殿に乗りかかっている樹齢400年以上の巨木クスノキがトレードマーク。
壇ノ浦の戦いの後、平維盛の子、行弘が、紀伊山地の奥地に隠れ住み、その三代目の子孫:平行盛が一族を引き連れて南伊勢に来て、のちに八つの集落で塩焼き竈を用いて製塩業で生計をたてた。南伊勢に現存している竈の名が付く集落は、新桑竈(さらくわがま)、棚橋竈(たなはしがま)、栃木竈(とちのきがま)、小方竈(おがたがま)、大方竈(おおがたがま)、道行竈(みちゆくがま)、相賀竈(おおかがま)の七つ。赤崎竈は、安政元年(1854)の津波で流されて廃村。この八幡神社は平家ゆかりの宇佐八幡宮を模して造られたという伝承があり、明治の合祀によって八ヶ竈八幡神社となった。
この神社で行われている竈方祭大祭のYoutube映像があった。
大方竈の集落を歩いて行くと夏ミカンがたくさん実を付けていた。
曹洞宗大智院の鬼瓦が町指定文化財ということなので見物に行くと道端に夏ミカンの皮が粉々に落ちている(-_-;)
寺の本堂に大きくて立派な鬼瓦が四方に2基ずつ。
側面に製造者の銘付きのようだ。
住職が居られれば由緒などを聞きたかったが残念ながら不在であった。
境内にあった、実をたくさん付けた立派なソテツ
美味しそうだけど毒がある。
食糧難の時に十分に毒抜きして澱粉を得たそうだが、その工程に三週間かかるそうな。また漢方薬にもなるようだ。
屋根の上に夏ミカンの皮?
猿たちの仕業なのだろうなぁ
大方窯集落から海に出た。
湾の一番奥の浅瀬にアオサ海苔の棚があった。
湾に沿って道路を歩いて駐車地へ戻る
家や漁業の作業場の横を歩いて行く。
海と山の間の狭い土地のため自動車を停めておく場所が十分でないために原付バイクや自転車が町民の脚のようだ。
赤崎集落の海に赤い社のある小島
バス停の名前が阿曽浦弁天。
弁天さんを祀っている島なのだ。
道端の家の玄関先でお喋りしているオジサン達を発見。
シジラミ浜や志戸ノ鼻の近くにあった小屋は何を見張っていたのか?と聞くとボラの大群が来ると手旗信号で舟に知らしていたのだと教えてくれた。
そしてこの辺りで鮮魚や干物を買える店ってないの?と聞くと、この道をまっすぐ行くと右に店があるから、そこで買える。と教えてくれた。
このお店、どこにあるのかパッと見ても見えない。
買い物帰り?のオバちゃんが車から降りてきたので魚屋のことを聞いてみると。「そこを戻って、その家の間の道を左に曲がると右手にある。あんたら、あっちへ歩いて行きなさい。私が曲がることろに来たら合図するから」と丁寧に店を教えてくれた。
その道中、基礎の上に水の入った2Lペットボトルが整列
とことん、来てほしくないヤツがいるのだなぁ(-_-;)
オバちゃん一人が店番していた嘉正屋商店さん(だったと思う)
ちょこっとした食料品屋さん。
一人所帯用?のお惣菜。
ヨコワの5枚おろしがラップされたものが冷蔵庫に並んでいた。
他に魚は?と聞くと、奥から自家製の干物(冷凍)が出てきた。
買って帰ったアジの干物、ハギミリンなど安くて量があって美味しかった。
また、来よう。
干物を買って車に戻ろうと歩いていたら、何か干してる?
茶色で縞々の長い?
ああ、ウツボさんの干物作ってはるんや!
朝、登り始めた鉄柵の前を通って学校跡地の駐車場に戻った。
今日も内容タップリの月曜山歩だった。
山行日:2024年2月12日
グループ山行@月曜山歩
参加者5人(IS、フグやん、ころ助、TY、TK)
装備:日帰り一般(ダニ除け)
距離:11.3km
所要時間:6時間26分
(うち昼食+散歩66分)
累積標高:プラスマイナス859m
最小標高:0m(海岸)
最大標高:182m(丸山山頂)
集合
8:40中ノ磯展望台駐車場
8:45旧南部小学校跡グラウンドP8:58
9:37シジラミ浜
10:39登山道出合
10:52志戸ノ鼻展望台11:00
11:36筆島東浜12:42
13:12P163付近
13:40丸山
13:46下山路分岐
14:00ため池
14:17八ヶ竈八幡神社14:22
14:30神照山 大智院14:32
15:10嘉正屋商店15:19
15:24旧南部小学校跡グラウンドP
山遊びした場所から10分余りの公園に河津桜が咲いていると聞いたので行ってみた。
河村瑞賢公園
この公園のある南伊勢町東宮は江戸時代の材木商で大商人になっただけではなく、海運航路の開拓、淀川河口の治水工事、越後の鉱山開発などで功績のある河村瑞賢の生まれ故郷。
けっこう、咲いている
道を挟んで撮影
メジロさんたちが蜜を吸いに来ていた
もう少し早い時間に行かないと陽が陰って撮影に不向き。
残念
しかも強風吹き荒れる。
こんな時は南伊勢の海岸山歩。
ルート
旧南部小学校グラウンドP→シジラミ浜→志戸ノ鼻→筆島展望→浜(ランチ)→丸山→八ヶ竈八幡神社→旧南部小学校グラウンドP
山行日:2024年2月12日
中ノ磯展望台駐車場で仲間と待合せて、旧南島町、南部小学校跡地の駐車スペースに車を駐車。
道を少し戻った場所にあるステンレス製の門扉を通って山を登って急な坂を行くと
祠があるちょっとした広場。
ここは阿曽浦里の浅間(せんげん)さん。毎年夏至の数日後に浅間祭りが行われる神聖な場所。
富士山信仰の浅間さんは氏子が海で身体を清め(垢離掻き)、顔に化粧をして、大日如来の石仏が安置されている高台の祠に竹幣を奉る祭り。海の安全と豊漁祈願の祭りとして伊勢志摩エリアに根付いている民衆信仰らしい。
祠と反対方向の岩っぽい尾根を登って標高を上げると、樹木の切れている所から贄湾
熊野灘には見江島
昔の段々畑の跡のような石積みを眺めながらキレイな歩道を歩いていくと南勢テクテク会の設置しているオレンジの道標
南勢テクテク会の文字が消されているのは大人の事情かな?(;^_^A
シジラミ浜を目指して歩いてくると、何やらコンクリートの構造物?
レンガも使われているし、中にはタイル張りの流し台もあったりした。あとで地元の人に聞くと、昔はボラの群れがやってきたりするのを見張っていた見張り台。最近までは定置網見張小屋だったらしい。
見張り小屋から下へ段々畑の跡地らしい場所を降りて行くと海岸へ出た。浜は黒っぽい玉砂利だらけ。
原因は、このあたりの海岸線を構成している岩が黒っぽいから。
シジラミ浜を南東へ移動
一番奥に見えている尾根端まで歩く。
↓浜の途中で後ろを振り返ってみた。
三角の山のてっぺんがコンクリートの見張り台があった場所。その海側下部の岩肌が黒いのがこの浜の黒い玉砂利の原因か?
浜辺を歩いていると黄色いプラゴミ?と拾ってみたら
コンゴウフグ?の赤ちゃんの遺体(;^_^A
あたりを注意深く見て回ると
いろいろあった('◇')ゞ
この日はまだ潮が引いていなかったので潮溜まり観察は出来ず((+_+))
ウニの骨格が二個あった
ボチボチ次に行きましょう
尾根に登れば良いんだけど、谷っぽい所から
すると森の中に綿毛付きの種の塊が落ちていた。
前にも三木浦で見つけたサカキカズラの種。
枝尾根の登りやすそうな、ブッシュの無さそうな場所を探して登って行く
登り切ると海の展望!
透明度の高い海水のおかげで浅い海岸沿いは暗礁が良く見える。
海岸の山腹に設けられている道はキレイに整備されている
そして志戸ノ鼻(鼻=岬)へ進んで行くと、またもや見張り台跡らしい場所があったが構造物は無し。
↑コンクリートの屋根だけ転がっている?
尾根を先端へと下りながら進んでいく。
海が見える場所から渡船がやってきたのが見えた。
海面から露出している岩に釣り人を降ろして行った
彼はここで磯釣りを何時まで楽しむのだろう?食事やおしっこは?迎えに来てくれないなんて事は無いのだろうか?などと色々気になった('◇')ゞ
岬の先っぽへ尾根をドンドン下って行った先。
そこは痩せ尾根の先っぽ。
低木のブッシュの向こう側にテラスがあるのだが崖っぷちの道は崩れて落ちてしまっている。ブッシュの中に身を滑り込ませて何とかテラスの上に立った。
この場所が志戸ノ鼻と呼ばれている所のようだ。
眺望、抜群!
眼下に透き通る水の磯場があって三角形の島!
ずっと眺めて居たいけれど、足元は三方が断崖絶壁。
ここ!高さ何十メートル!?
ここは細く突き出た岩壁の上。
崩れやすそうな地質の岩のテラスの幅は2mも無い。
まさに鼻先の上に居る!
おまけに風が強いので、思わず「しゃがむ」(-_-;)
真下は怖すぎ!見ることが出来ない!!
一人ずつ交代しながら崖っぷちを堪能。
あ?前の島の先っぽにも人影あり。
磯釣りの渡船でやってきたのだろう。
あそこなら広いから生活できそう!
(;'∀')b
さて、次に進もう。
来た道を戻って行くと東へ分岐する道があったので、それを使うと小ピークを登らずに巻くことが出来た。
海沿いの道は南側に展望がきく場所があった。
海の水平線の景色に渡船らしきものが動いていた。
歩くと程なく先ほど絶景を見ていた志戸ノ鼻が見下ろせる場所があった。
展望台と書いた場所が、しゃがみこむほどコワイ場所。
志戸ノ鼻から筆島の方向へ歩く事30分。
またまた監視小屋跡の残骸。
ここから東へ降りて行くルートを取った。
5分ほど下って行くと筆島の東浜が見えてきた。
浜が見えて、ものの2分ほど下ると露岩のザレ場に出て、砂利の浜に降り立った。
固定ロープが設置されていたが、傾斜も緩く、ザラザラの岩でグリップもあったのでロープを使うまでも無かった。
ここの岩場の様子はシジラミ浜に比べて灰色っぽい縞々の岩の地層から生まれた灰色の砂利浜
11:40ここで昼食をとることになった。
昼食後、各々が浜を散策していると「ゴキブリみたいな虫の死骸あった!」と、嫁さんが私を呼ぶので見に行くと、見たことのない・・・虫?
フナムシでは無いし、タイの口の中に寄生するタイノエとも違う・・・
分からない・・・(;^_^A
家に帰って調べると、このこはスナホリガニ。意外に美味しいとか(~_~;)
↓左が頭で右がお尻
カメノテさんと記念撮影。
ここの浜でも落ちているものを集めてみた
細かい貝が多かった
行ける所まで行ってみよう
ロープが張られているのは定置網?
ここの潮溜まりにも特に生き物は見当たらなくて・・・
居たのはカメノテくらい(=_=)
さぁ、丸山へ行こう!と、来た道を戻って、見張り小屋跡の横から筆島を撮影。
絶景だ!
さぁ、今日はこれで海とオサラバ
昼前に下ってきた尾根を登り返してP163の横を巻く。
常緑広葉樹の低木をくぐって進んでいき、最後にググっと標高を上げていくと、展望の無い丸山P182。
本日の最高標高点。
この先にある塩竈浜(しゅうがはま)方面には行かずに来た道を引き返して、大方竈方面へ下山する。
分岐点は分かりやすく、道は谷沿いに下って行く。
途中で崩落した場所があったりするが、歩くには支障なく、谷沿いに下って行けば溜池に出た。
石積み堰堤の横から始まる沢沿いに歩いて行くと、津波時の避難看板のある未舗装林道。
大方竈方向へ歩いて行くと耕作放棄された田畑が広がるエリア
道は幅が細いものの舗装路。
駐車場がある八ヶ竈八幡神社にやってきた
この神社、拝殿に乗りかかっている樹齢400年以上の巨木クスノキがトレードマーク。
壇ノ浦の戦いの後、平維盛の子、行弘が、紀伊山地の奥地に隠れ住み、その三代目の子孫:平行盛が一族を引き連れて南伊勢に来て、のちに八つの集落で塩焼き竈を用いて製塩業で生計をたてた。南伊勢に現存している竈の名が付く集落は、新桑竈(さらくわがま)、棚橋竈(たなはしがま)、栃木竈(とちのきがま)、小方竈(おがたがま)、大方竈(おおがたがま)、道行竈(みちゆくがま)、相賀竈(おおかがま)の七つ。赤崎竈は、安政元年(1854)の津波で流されて廃村。この八幡神社は平家ゆかりの宇佐八幡宮を模して造られたという伝承があり、明治の合祀によって八ヶ竈八幡神社となった。
この神社で行われている竈方祭大祭のYoutube映像があった。
大方竈の集落を歩いて行くと夏ミカンがたくさん実を付けていた。
曹洞宗大智院の鬼瓦が町指定文化財ということなので見物に行くと道端に夏ミカンの皮が粉々に落ちている(-_-;)
寺の本堂に大きくて立派な鬼瓦が四方に2基ずつ。
側面に製造者の銘付きのようだ。
住職が居られれば由緒などを聞きたかったが残念ながら不在であった。
境内にあった、実をたくさん付けた立派なソテツ
美味しそうだけど毒がある。
食糧難の時に十分に毒抜きして澱粉を得たそうだが、その工程に三週間かかるそうな。また漢方薬にもなるようだ。
屋根の上に夏ミカンの皮?
猿たちの仕業なのだろうなぁ
大方窯集落から海に出た。
湾の一番奥の浅瀬にアオサ海苔の棚があった。
湾に沿って道路を歩いて駐車地へ戻る
家や漁業の作業場の横を歩いて行く。
海と山の間の狭い土地のため自動車を停めておく場所が十分でないために原付バイクや自転車が町民の脚のようだ。
赤崎集落の海に赤い社のある小島
バス停の名前が阿曽浦弁天。
弁天さんを祀っている島なのだ。
道端の家の玄関先でお喋りしているオジサン達を発見。
シジラミ浜や志戸ノ鼻の近くにあった小屋は何を見張っていたのか?と聞くとボラの大群が来ると手旗信号で舟に知らしていたのだと教えてくれた。
そしてこの辺りで鮮魚や干物を買える店ってないの?と聞くと、この道をまっすぐ行くと右に店があるから、そこで買える。と教えてくれた。
このお店、どこにあるのかパッと見ても見えない。
買い物帰り?のオバちゃんが車から降りてきたので魚屋のことを聞いてみると。「そこを戻って、その家の間の道を左に曲がると右手にある。あんたら、あっちへ歩いて行きなさい。私が曲がることろに来たら合図するから」と丁寧に店を教えてくれた。
その道中、基礎の上に水の入った2Lペットボトルが整列
とことん、来てほしくないヤツがいるのだなぁ(-_-;)
オバちゃん一人が店番していた嘉正屋商店さん(だったと思う)
ちょこっとした食料品屋さん。
一人所帯用?のお惣菜。
ヨコワの5枚おろしがラップされたものが冷蔵庫に並んでいた。
他に魚は?と聞くと、奥から自家製の干物(冷凍)が出てきた。
買って帰ったアジの干物、ハギミリンなど安くて量があって美味しかった。
また、来よう。
干物を買って車に戻ろうと歩いていたら、何か干してる?
茶色で縞々の長い?
ああ、ウツボさんの干物作ってはるんや!
朝、登り始めた鉄柵の前を通って学校跡地の駐車場に戻った。
今日も内容タップリの月曜山歩だった。
山行日:2024年2月12日
グループ山行@月曜山歩
参加者5人(IS、フグやん、ころ助、TY、TK)
装備:日帰り一般(ダニ除け)
距離:11.3km
所要時間:6時間26分
(うち昼食+散歩66分)
累積標高:プラスマイナス859m
最小標高:0m(海岸)
最大標高:182m(丸山山頂)
集合
8:40中ノ磯展望台駐車場
8:45旧南部小学校跡グラウンドP8:58
9:37シジラミ浜
10:39登山道出合
10:52志戸ノ鼻展望台11:00
11:36筆島東浜12:42
13:12P163付近
13:40丸山
13:46下山路分岐
14:00ため池
14:17八ヶ竈八幡神社14:22
14:30神照山 大智院14:32
15:10嘉正屋商店15:19
15:24旧南部小学校跡グラウンドP
山遊びした場所から10分余りの公園に河津桜が咲いていると聞いたので行ってみた。
河村瑞賢公園
この公園のある南伊勢町東宮は江戸時代の材木商で大商人になっただけではなく、海運航路の開拓、淀川河口の治水工事、越後の鉱山開発などで功績のある河村瑞賢の生まれ故郷。
けっこう、咲いている
道を挟んで撮影
メジロさんたちが蜜を吸いに来ていた
もう少し早い時間に行かないと陽が陰って撮影に不向き。
残念
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